浦山 明俊 公式HP

Urayama Akitoshi

印象を強く-バインドメッセージ-

[outline] 的確にキーワードを伝えるバインドメッセージ
バインド【Bind】とは、

①縛ること。束ねること。括ること。
②装丁すること。製本すること。
③束縛すること。拘束すること。
④コンピューター-ネットワークで,データ経路確保に必要なプロトコルやサービスなどを関連づけること。

ですからバインドメッセージとは「相手をしばる、ことづて」です。

マスコミを、読者を、視聴者を、自分の思う方向に導くテクニックのひとつです。
言葉や、しぐさや、服装や、表情です。

キーメッセージの発信よりも、さらに高度な話し方のテクニックです。

政治家で、このテクニックに長けているのは小泉進次郎さんでしょう。

小泉進次郎さんの政治理念は、この際、問いません。

彼の好感度は、すべての世代でトップクラスでしょう。
2010年には民主党の政権下で、
「自由があるのが自由民主党、自由がないのが民主党。まさに党名が表しているなと思いますよ」と政権批判をしました。

第48回衆議院議員総選挙(2017年)では、小池百合子都知事が旗揚げした希望の党を、バインドメッセージで巧みに批判しました。

「小池さんは、出ても無責任、出なくても無責任」

小池百合子さんが、都知事を辞職して、衆議院議員選挙に出馬するのではないかと、出馬すれば希望の党の得票率はうなぎ登りになるのではないかという憶測が世間を賑わせているさなかでした。

小池百合子さんが都知事を辞職して出馬すれば、都知事を早々に辞めるのだから無責任。
小池百合子さんが都知事に留まって、出馬しないのは希望の党に対して無責任。

小泉進次郎さんによる、見事なバインドメッセージでした。

バインドメッセージは、はっきりモノを言うだけでは成立しません。
言いたいことを、ダイレクトに発言しても伝わりません。
短いフレーズ、短いキャッチコピーだけではありません。

伝えるときの「間」を計るテクニックが必要です。
仕草や、服装や、声の抑揚などのテクニックが必要です。
聴衆との距離感、視線、理解の確認が必要です。

演説のシーンだけではなく、取材を受ける際にも、プレゼンテーションをする場合でも、自分が伝えたいことを相手に効果的に印象づける。

そのテクニックのひとつが、バインドメッセージなのです。

考えるスピードと書くスピード/万年筆

いまどき万年筆を使っているのは、いまどき懐中時計で時刻を確かめているようなものでしょうか。
執筆をするときは、パソコンを使います。スマホやタブレット端末も使っています。
それでも万年筆を使うのはですね

「考えるスピードと、書くスピードが一致する」

なおかつ

「思考をジャマしないで書くことができる」からなんです。

国産では、パイロット、セーラー、プラチナ、中屋、笑暮屋などを使っています。
海外製では、モンブラン、ペリカン、モンテグラッパ、ファーバーカステル、クレオスクリベント……一番出番が多いのは、パーカーです。

パーカー・デュオフォールド・インターナショナル。この万年筆を2本持っています。
これから書くべき原稿の、構成や筋書き(プロット)や情報をまとめるときには、万年筆です。
パソコンのテキストでは、これが上手くいかないんですよね。

思考って秩序立って、頭の中を流れますか?。

アレを考えたり、コレを考えたり。足りない情報を検索したり、まったく別のアイデアが浮かんじゃったり、思考って支離滅裂です。

紙に書きながら考える方が、キーボードを叩いたり、スマホをいじったりするよりも、僕には向いているのです。文字の大きさ、改行位置、強調、書き加えの記録が紙には痕跡として残ります。

とくに小説を書くときには、ぜったいに万年筆です。
もちろん、構成やプロットがまとまったときには、キーボードを叩き始めます。

 

書く前の準備段階では、万年筆なのです。
鉛筆やシャープペンだと、紙に微妙に引っかかります。
ボールペンだと、紙に押しつけて書く微妙な力加減が必要です。
万年筆だと、ペン先から流れるインクがすべるように紙に描かれます。

無駄な力は、どこにもかかりません。
ストレスがない。それも微妙で繊細なストレスがない。
手紙も万年筆で、したためます。

便せんは、クレインかロームかコンケラー、たまにスマイソン。
僕が初めて買った万年筆がパーカー。デュオフォールド・インターナショナルでした。
30年前で、たしか4万円だったと記憶しています。

パーカー・デュオフォールド・インターナショナルは廃番になっていて、復刻モデルのパーカーデュオフォールド・クラシック・インターナショナルは、現在は86400円のようです。

「そんなに高価な筆記具を使うなんて、高尚な趣味だ」
「金持ちを見せびらかしたいから、万年筆なんか使っているんだろう」
「プロの作家は、それだけ投資できるかもしれないけれど、アマチュアは100円ボールペンで充分だ」

それは正論かもしれません。
でも興味を引かれたら、万年筆を使ってみませんか。
お勧めは、パイロット万年筆の「カクノ」です。

定価は1000円+消費税。

千円とは思えない、書き心地です。
カクノを使ってみて、さらに心地よく書きたいと思えたら、それから上位ランクの万年筆にステップアップしてみるのも、一興です。ちなみに高い万年筆が、もっともっと書き心地が良い。なんてことはありません。

僕の使っているモンテグラッパの万年筆は、並行輸入品で489000円しますが、高額の理由は装飾の意匠で、10分の1の価格で買った、パーカー万年筆の方が、はるかに書き心地が良いです。

『スケートでリンクをすべる楽しさを知っているなら、あるいは想像できるなら、万年筆はあな

たの友達になってくれるでしょう』

料理って人間性を測るんです

僕のことを食通だと誤解している人がいます。
違います、ただ、美味しいものを食べたいのです。
麻婆豆腐を作るとき、僕はレトルトの中華のモトを使いません。
挽肉にニンニクと黒砂糖を混ぜ込んで寝かし、豆腐はスーパーではなく豆腐屋で買います。

さて調理開始。豆板醤(トウバンジャン)、甜麺醤(テンメンジャン)、豆鼓醤(トウチジャン)をベースに挽肉を炒め、八角を鍋に入れて基礎の味を作り、豆腐を投入し、ここだというタイミングで山椒、鷹の爪、さらにニンニク、火を止める直前に、10分以上は水に浸しておいた片栗粉をほんの少量入れて、火を止めてごま油を鍋のへりから流し入れて完成。

僕が作るとんこつラーメン

カレーライスを作るとき、僕はカレールーを使いません。
数種類のスパイスを組み合わせて、投入するタイミングと火加減に細心の注意を払って、チキンカレーやビーフカレーを煮込みます。その日のうちには食べません。
冷蔵庫で冷やし、取り出して鍋を火にかけ、また冷蔵庫で冷まします。
熱と冷とが織りなす浸透圧で、素材のとくに肉類の細胞膜が破壊されて、味がしみこむのです。

「お兄ちゃんの料理は、科学の実験みたい」

と妹に言われます。
なるほど、化学と生物学が好きだった僕は、そうした知識を料理に応用しているかもしれません。

浦山明俊流シャリアピンステーキ


僕の料理法を紹介すると、ずーっと料理をしているように思うでしょう。
でも、仕込みや煮込みに時間をかけるだけであって、実際にキッチンに立つ時間は15分程度のものです。IHの一口コンロしかありません。夢は広いキッチンを持つことです。

肉や、魚や、野菜や、果物を買うとき、選ぶときから料理は始まっている。

僕はファミレスには行きません。
僕は美味しくない外食店には入りません。
僕はチェーン店系和食店には入りません。

けっこうな金額を取るくせに、美味しくないからです。
僕の手料理の程度では、食べられない料理を食べるために外食します。

僕は弟子たちには、駄食はむさぼるなと指導します。
美味しくない料理を食べ続けると、心がすさみ、身体に不調が蓄積されるからです。

「浦山明俊の弟子になると、高級店に連れて行ってもらえる」

それは誤解です。
高級な料理ではなく、上質な料理を食べてもらうのです。
その経験から、仕事に生活に人生に何らかのヒントを得てもらいたいのです。

浦山明俊流トッポギ

 

京都に弟子を同伴すると『美濃吉』とか『下鴨茶寮』とか、教えたくない四条の隠れ家料理店とかに連れて行くのは本当です。

K君は『美濃吉』で、先付けの皿が運ばれて来たときに、

「あっ、これ。レイアウトの勉強ですか?」

と発言しました。
僕の意図を見抜いたこの弟子は、現在は朝日新聞出版の社員になっています。

『皿に器に盛り付けられるまでに、どれだけの仕事が注ぎ込まれているか、それを見抜き、しかし指摘しないで楽しく食べられる人をグルメと呼ぶのだ』

コーヒー好きです

僕がフレンチコーヒーを好むようになったのは、大学に入ったばかりの18歳のときでした。
渋谷の現在のファイヤー通りの近くに「レジュ・ドゥ」というコーヒー専門店がありました。
コーヒー豆は最初から茶色いと思っている人がいるようですが、獲れたてのコーヒー豆は白っぽいです。

これを焙煎(ロースト)するのです。豆を炒るわけですね。
炒る時間によって、ローストの状態は数段階に分かれます。

1、ライトロースト(Light roast
2、シナモンロースト(Cinnamon roast
3、ミディアムロースト(Medium roast
4、ハイロースト(High roast
5、シティロースト(City roast
6、フルシティロースト(Fullcity roast
7、フレンチロースト(French roast
8、イタリアンロースト(Italian roast

浅煎りがライトローストで、アメリカンコーヒーは本来このライトローストで淹れます。
深入りの、イタリアンローストは、エスプレッソなどに使われます。
僕の好みは「レジュ・ドゥ」のコーヒーによって、決定づけられたと言えるでしょう。

深入りのフレンチコーヒーしか提供しない専門店で、カップはロイヤルコペンハーゲンや、リチャードジノリ。梁は古い民家の柱だったと思われる濃茶の削り出し。
40年前のコーヒー1杯の値段は400円。カレーライスが300円で食べられた頃です。現在の価格にしたらコーヒー1杯で1000円くらいでしょう。

大人のコーヒー店といった雰囲気で、僕は通学のため渋谷駅で降りると、大学へは向かわずに、たいていは「レジュ・ドゥ」の木製の椅子に腰掛けて、文庫本を広げながら1時間、ときには2時間以上も、砂糖もミルクも入れないフレンチコーヒーを口に運ぶのでした。

カウンターにはYさんがいて、ドアを開ける僕の姿を認めると閑かに「いつものやつですね」とネルドリップでコーヒーを煎れるのでした。
コーヒーの煎れ方は、Yさんの手元をみて、よく観察して、いつしか自宅で自分で焙煎した深煎りのコーヒー豆をミルで挽いて、ネルドリップでふくよかな香りの一杯を楽しむようになりました。

ブラジルの街角で

 

現在でも、オフィスに訪問客がいらっしゃると、僕は自分でコーヒーを煎れます。
もっとも、ネルドリップは管理が大変なので、ペーパードリップに換わってしまいましたが。
カップはリチャードジノリのイタリアンフルーツ。
ジノリは2013年にグッチに買収されてしまいました。

僕のジノリのカップは30年前に揃えたもので「オリジナルだぞぅー」と自慢したい気持ちをこらえて、訪問客のテーブルにセットします。

他にも通ったコーヒー店は、表参道にあった大坊珈琲店。

ご主人の大坊さんは、小説家の池波正太郎さんと親交の深かった人で、文学と思索のためのコーヒー店という雰囲気でした。

ここもネルドリップでした。お湯を細い糸のようにネルのなかのコーヒー粒に落とし始めると、カウンター席に座る誰もが、大坊さんの一挙手を見つめたものでした。

眠くなる旋律のように、ネルに注がれる細いお湯の糸。
とたんに、ふわりとコーヒーの香りが広がる。サーバーに落ちていく黒に寄った濃茶の液体。
大坊さんは、コーヒーを煎れることで、カウンター席のお客たちを魅了したものです。

「どうぞ……

と大坊さんが、コーヒーを待つお客の前にカップを置くと、他の客たちは(僕も含めて)、心の中で拍手喝采を送ります。もちろん実際に声を挙げる人はいませんでした。
セロ弾きのようにコーヒーを煎れ、指揮者のようにお客たちを統率していた大坊珈琲店。
雑居ビルの2階。その雑居ビルの建て替えのため、このコーヒー店も無くなってしまいました。

僕がいまでも通うのは、神田小川町にあるボワシ・カフェ。
渋谷のレジュ・ドゥが閉店した後に、Yさんが開いたフレンチコーヒー専門店です。

神田神保町のトロワ・バグ。

大学生時代から、神田の古書店で古本を買うとこの店でさっそく読み始め、読み疲れるまでフレンチコーヒーを飲みました。現在でも営業しています。

湯島のフレンチ・ボーグ

フランス料理の店と勘違いする人もいるらしいですが、フレンチコーヒーを出すからこの店名なのです。

六本木のカフェ・ブンナ

やはり大学生の頃から通い続け、出雲大社東京分社の前に建つフレンチコーヒーの店です。

白金高輪のベル・エキップ

浅煎りコーヒーの美味しい店で、フレンチコーヒー一辺倒だった僕を開眼させてくれた店です。

値段が高ければ、美味しいわけではありません。
銀座のK珈琲店とか、Gカフェとか、都内に展開しているT屋とか、やはりチェーン展開しているカフェ・L・Mとか、値段ばかり高くて、不味いコーヒー屋もたくさんあります。


コーヒー店に必要なのは、お高くとまったコンセプトではなく、求道者のような職人が淹れてくれるかどうか、その一点なのですよ。

『片道2時間をかけても、どうしても飲みたくなるコーヒー店がある。恋人に遭いに行くように』

作家がスーツをまとうとき

作家がスーツをまとうとき

服飾の基本はスーツなのですが、いわゆるビジネススーツは着ません。
それが僕の自己中心的なTPOです。
表現者(作家)が、スタイルを持たないなんて、無責任だとまで、僕は傲慢に豪語しています。

基本はブリティッシュ(英国式)のセヴィルロウ・スタイル。
くだけた印象を身にまといたいときには、クラシコイタリア。
シャツはターンブル&アッサー(イギリス)かシャルベ(フランス)。
靴は、ベルルッティ(フランス)かステファノベーメル(イタリア)かジョンロブ(イギリス)。

 

アパレル業界に知人が多く、僕がファッション関係の仕事をしていると勘違いしている知人も少なくありません。

そもそも僕は幼少の頃に、浅草テーラーの仕立て(オーダー)服で育ちました。
冬はツィードの上着に、仕立てた白シャツに蝶ネクタイ。
夏はリネンの上着に紺色の半ズボン。
仕立屋のおじいさんはいつも僕に、三ツ矢サイダーを飲ませてくれました。

白シャツの両袖にカフリンクスを留めてくれながら、

「良いですか、坊ちゃん。この服を着たときには、大声を出してはいけません。お母様に駄々をこねてはいけません。道端に座り込んではいけません。背筋を伸ばして、物静かにお過ごしなさい。それがこの服を着る意味なのですから」

と教えてくれました。あれから50年以上、浅草のテーラーもなくなってしまいました。


おじいさんもたぶん、この世の人ではないでしょう。
ただ、いまでも上着に袖を通すとき、浅草のおじいさんのベストを着た白髪頭を思い出すのです。

『まず服装を正せ、次に言葉を正せ。成功への道が開ける』

浦山明俊人生録⑤ – 朝日新聞記者から医療ジャーナリストへ –

朝日新聞社の記者になってみて、何より、ありがたかったのは午後出社しても怒られないことでした。
だって、編集部の皆様が午後出社だったりしましたから。

鬼軍曹のMキャップからは、ケチョンケチョンに叩かれました。

「お前の原稿は、文字ではあるだろうが、文章ではない」
それくらいの勢いです。

作詞家の経験も、フリーライターとしてある程度は自信を持っていた文章力も、奈落の底に蹴り落とされました。

Mキャップが恐ろしくて、廊下に出る前に階段のおどり場で、呼吸を整えていたくらいです。

キャップが主任か係長なら、デスクは課長、編集長は部長という理解でよろしいかと思います。

でも、編集長は僕からしたら社長よりも偉い、神様のような存在でした。

猛烈に企画を提出して、猛烈に取材して、猛烈に執筆する。徹夜当然、寝るなんてありえない。

血の小便が出ますよ、本当に。

いまだったら、厚生労働省から怒られるでしょうね、朝日新聞社が。

ブラック企業そのものと言われるでしょうね。

でも僕は「こここそが、自分が生きる場所」と懸命でした。

それはキャップやデスクや、ときに編集長が熱弁を振るって、僕に原稿の書き方を教えてくれたからです。取材のイロハを教えてくれたからです。

27歳のときに「花粉症」が日本中で猛威をふるいました。

現在では国民病として、それほど大騒ぎしなくなった花粉症ですが、1980年代には医者ですら、「何じゃ、この奇怪な症状は!」と治療法すら確立していなかったのです。

僕は「花粉症の謎を追え」とIデスクから命じられて医者、患者、製薬会社、厚生省(現・厚生労働省)を取材しまくります。

このときの経験と人脈から、のちに医療ジャーナリストとして仕事をする道に立ったわけです。