CATEGORY 人生録

浦山明俊の人生の足跡です。ずっとフリーランスで生きています。

  • 2018.11.09

浦山明俊人生録⑧ –いま執筆者は、どうあるべきなのか –

57歳で就いたアルバイトの仕事は、ホテルの宿泊客のバイキング式朝食の食べ終えられたお皿や食器を、洗い場に運ぶ仕事でした。 イギリス式の教育を受けた僕は、ターンブル&アッサーの白シャツにトムフォードの黒蝶ネクタイをむすんで、姿勢を正して、笑顔で食器類を運んでいました。 とたんに、僕より年下と思われるオジさん主任から怒鳴られました。 「何を、偉そうに胸を張っているんだ。バイトボーイふぜいは、お客様と目 […]

  • 2018.11.09

浦山明俊人生録⑦ – 小説家はゴールではなかった –

2006年3月に、初めての小説『東京百鬼』が祥伝社から出版されます。 僕は46歳になっていました。 その前から、ノンフィクションの書籍は世に出ていました。 僕の人生の目標は、小説家になることでしたから、夢はかなったことになります。 小説家としてデビューする年齢を僕はひそかに、計画していました。 陰陽道の占術で僕自身を占うと、25歳~45歳は大運天中殺なので、この期間に始めたことは破綻します。 天中 […]

  • 2018.11.09

浦山明俊人生録⑥ – 個人事務所イン-ストックは弟子養成所 –

1985年1月27日に、個人事務所であるイン-ストックを文京区本郷に構えました。 その頃には、僕には弟子が何人か入門していました。 小学生で教壇に立ち、高校で後輩の面倒をみて、朝日新聞社では教鞭に打たれた経験があったからでしょうか。 後進を育てるのは好きでした。 自分が食べられるかどうかギリギリの日常を過ごしていて、弟子を育成するのはリスクが大きかったです。 それでも弟子をとったのは、いくつか理由 […]

  • 2018.06.13

浦山明俊人生録⑤ – 朝日新聞記者から医療ジャーナリストへ –

朝日新聞社の記者になってみて、何より、ありがたかったのは午後出社しても怒られないことでした。 だって、編集部の皆様が午後出社だったりしましたから。 鬼軍曹のMキャップからは、ケチョンケチョンに叩かれました。 「お前の原稿は、文字ではあるだろうが、文章ではない」 それくらいの勢いです。 作詞家の経験も、フリーライターとしてある程度は自信を持っていた文章力も、奈落の底に蹴り落とされました。 Mキャップ […]

  • 2018.06.13

浦山明俊人生録④ -フリーライター盛衰記-

朝に起きられない。これはつらいものです。幼稚園でも、小学校でも、中学校でも午前中はどんな授業を受けているのか、まったく意識がないのです。居眠りこそしませんでしたが、ボーッとした子だったのは間違いありません。 就活なんかしませんでした。 会社員として働くことは無理なのです。朝に出勤なんてぜったいにできない。 僕は就職をしたことがありません。 午後から仕事が始まる編集のアルバイトをしながら、フリーライ […]

  • 2018.06.13

浦山明俊人生録③ -大学時代に作詞家になる –

國學院大学は、神主養成学校と陰口をたたかれる、渋谷の外れも外れの辺境に建つ大学でした。 ここでも僕は驚いたことがあります。 「はーい、今年の学生のなかで鬼や霊を観る者、手を挙げなさーい」 僕はおそるおそる手を挙げました。 「ふーむ、今年は少ないな……。いま挙手した者。あとで教授室に来るように」 そこで僕は、初歩的な霊の祓い方を教授から教わりました。 そして実際に、幼い頃から邪魔くさかった鬼や霊を祓 […]