1985年1月27日に、個人事務所であるイン-ストックを文京区本郷に構えました。
その頃には、僕には弟子が何人か入門していました。
小学生で教壇に立ち、高校で後輩の面倒をみて、朝日新聞社では教鞭に打たれた経験があったからでしょうか。
後進を育てるのは好きでした。
自分が食べられるかどうかギリギリの日常を過ごしていて、弟子を育成するのはリスクが大きかったです。
それでも弟子をとったのは、いくつか理由が挙げられます。
1つめは、弟子入り志願の連中の「どうしてもマスコミで活躍したい」という情熱にほだされたことでしょう。でも、それだけでは単なる僕の美談です。
2つめは、弟子入り志願の連中に原石として光るものがあった。その原石を磨いてみたいという僕の欲求です。
どんな人間に育つのだろうという弟子への興味です。
3つめは、自分を律することができるから。これが大きい。
弟子を育てるためには、まず自分がしっかりしていなければならない。自分が毅然としていなければならない。
自分が全力で仕事に立ち向かっている姿を見せなければならない。
個人事務所イン-ストックで執筆中
弟子たちの目に、しっかりとした浦山明俊を見せる。
そうすることで、僕は自分自身を律することができるのです。
まぁ、ときにはダメダメで、グズグズな浦山明俊を見せてしまうこともあるのですが。
イン-ストックは、文京区本郷から、文京区湯島へ移転し、さらに台東区東上野に移転して、イン-ストックは継続しています。
当初は弟子養成所みたいな事務所だったのですが、2000年2月に税理士にそそのかされて法人化してから、魅力的な人材が集まらなくなりました。
僕は一般常識だとか、社会のルールだとかに従ってはダメなんです。
小説家になったのは、どこか一般常識からは逸脱した僕の自己表現だったのかもしれません。