2006年3月に、初めての小説『東京百鬼』が祥伝社から出版されます。
僕は46歳になっていました。

その前から、ノンフィクションの書籍は世に出ていました。

僕の人生の目標は、小説家になることでしたから、夢はかなったことになります。

小説家としてデビューする年齢を僕はひそかに、計画していました。

陰陽道の占術で僕自身を占うと、25歳~45歳は大運天中殺なので、この期間に始めたことは破綻します。

天中殺とは「天が味方しない時期」です。空亡ともいいます。干支によって誰でも持っています。
十二支のうちの二支のどれかなのです。

僕は寅卯天中殺を持っています。寅年、卯年とか、寅の月、卯の月は「天が味方しない」のです。無理をして事を起こせば、その事は将来、破綻すると説かれています。

しかし実際は、運がない時期だと簡単に説明がつくものでもなく、天中殺の乗り切り方はその人の運命によって様々です。

大運天中殺は、120年のうちの20年間に巡ってくるものです。人間は120年も生きないですから、この20年間に遭遇しない人もいます。

僕は1983年(25歳)から2003年(45歳)までの20年間が、大運天中殺に見舞われる運勢だったのです。

なるほど30歳で出会って35歳で結婚しましたが、40歳で離婚を言い渡されています。

大運天中殺を自覚していたので、45歳以前に小説家としてデビューするのは意図的に避けていました。

小説『東京百鬼』の続編として『鬼が哭く』が出版され『花神の都』が『夢魔の街』が出版され、時代小説としては『噺家侍』が『かたるかたり』が出版されました。その他の寄稿、講演を数えたら、たぶんキリがありません。

小説デビュー作『東京百鬼』

 

2013年で55歳になるまでは、僕は全身小説家でした。
陰陽師も、医療ジャーナリストも、マスコミ対策コンサルタントも同時並行でこなしていました。

それなりに多忙で、年末年始も、ゴールデンウィークも、お盆も、クリスマスも、もちろん土日祝日も、たいていは仕事をしていました。

2014年か2015年あたりから、印刷媒体が手をつけられないくらいに失墜します。
僕は、かつては400文字原稿用紙1枚あたりの原稿料として4万円をもらっていました。
現在はテキスト6000文字を書いても2万5千円にまで原稿料は下落しました。

2015年の春には生活できなくなった57歳の僕は、アルバイト面接に落ちまくって、それでも都心のホテルのボーイに時給980円で雇われます。