浦山 明俊 公式HP

Urayama Akitoshi

浦山明俊人生録② -高校時代-

秋川高校のメインストリート(2009年)

都立全寮制秋川高等学校は、イギリスの全寮制名門校イートン・カレッジをモデルにした本格的なパブリック・スクールを目指した男子校でした。僕はこの高校にどうにかすべり込みます。
敷地は東京ドーム10個分の広大なキャンパスでした。

全員で食事をとる食堂の他に、レストランがあり、喫茶室がありました。

規律は厳しく、たばこを吸えば、一度目で停学処分。二度目に吸えば即、退学処分でした。

外交官や駐在員や官僚の息子が同級生で、東京の下町の下駄屋のせがれなんて僕くらいでした。

世界中のエリートの息子が入学してくる。それは厳しい高校でしたが、驚いたことがあります。

同級生は“僕みたいなヤツ”ばかりなんです。

A君は、映画を語らせると誰もかなわないし、英語もペラペラ、イギリス文学を原書で読む。ところがサッカーの試合では、自陣のゴールにシュートを繰り返す。

H君は、数学と物理は教わらなくても難問を解く。ドラムスを叩かせると正確無比。趣味はモールス信号を打電すること。ところが文系はまったくできない。「あのさぁ、浦山。東大受験に国語があるんだよ。浦山はさぁ、たくさん本を読んでいるだろう。とりあえず何から読んだら良いの?」

僕は太宰治の『人間失格』を貸しました。

数日後、寮室で開かれていたサロン(文学や美術や映画を語り合う集まり)にH君は現れて、
「読んだけれど、矛盾だらけじゃん。主人公は自分を人間失格だと書いているけれど、これだけ文学年表にも記載される小説を書けるわけだろう。それは合理的に考えて作家として合格だということじゃん。論理的に破綻している。読むだけ無駄だったよ」

と僕に『人間失格』の文庫本を投げていったのです。

2009年の廃校式典に集った卒業生 ポロシャツの背中には、寮歌の前ふり言葉

S校長の言葉に、象徴されるこの高校における規律の正体が見られます。
夜行軍(深夜に敷地の外に出て山を踏破して帰校する)の催行前の訓示です。

「ケンカを売るヤツは最低である。ケンカを買うヤツはもっと最低である。他校の生徒から売られたケンカは絶対に買うな。ただし……、下級生が他校の生徒から、一方的に殴られているのを見過ごすようなヤツは、さらに最低である。退学処分を覚悟して、やるからには絶対に負けるな」

そんな教師や同級生に囲まれて、僕は高校3年生を迎えます。

担任の化学教師のN先生からは、
「東大は無理だとしても早稲田大学への合格は保証する。将来は作家になりなさい」
とまたも太鼓判を押されます。

ところが、早稲田大学も、上智大学も、青山学院大学も、明治大学も、明治学院大学も不合格。
滑り止めの國學院大学だけに合格します。

浦山明俊 人生録① -幼少期〜中学時代-

僕は、物心ついた頃から変な子でした。
ハイハイもつかまり立ちも遅く、言葉を発するのだけは早い赤ん坊だったそうです。

3歳の頃、母親に抱かれながら、電車に乗ると停車する駅名を次々と読みあげていたそうです。

たしかに幼稚園に入る頃には、本を独りで読んでいた記憶があります。

真ん中が僕。幼少期から常にオーダーメイド服

 

小学5年生と6年生のときには、担任教諭から指示されて、教壇に立っていました。同級生に『国語』や『社会』を教えていたんです。担任のW先生は、その空いた時間を使って教頭試験の勉強をしていたのでした。W先生は、
「浦山君は、将来は作家になるだろう。みんな作家先生から教わるつもりで勉強しなさい」

と小学校の同級生に演説したのです。
いまだったら、社会問題でしょう。でも昭和30年代って、そんな時代でした。

ところが困ったことに、僕は『算数』『図工』『体育』がまったくできない子でした。
そもそも「なぜ走らなければならないのか」と疑問を持っていました。

中学校や高校での『数学』は得意というか、好きで「因数分解」「方程式」「ベクトル」は解けるのに、四則計算でつまずいてしまうのです。足し算や引き算を間違えるのです。

 

たぶん小学6年生。オーダースーツ姿。

 

おかげで劣等生でした。
高校はどこを受験しても不合格になりそうでした。
中学3年生の担任だった、U先生は、

「全寮制の高校が都立にある。そこだったら図書館が充実しているから。私が推薦してあげるから、将来は作家になりなさい。キミ、国語だけはできるんだから」

と僕をそそのかしたのです。

こうして僕は、東京都立全寮制秋川高等学校に、入学し、入寮することになりました。