朝に起きられない。これはつらいものです。幼稚園でも、小学校でも、中学校でも午前中はどんな授業を受けているのか、まったく意識がないのです。居眠りこそしませんでしたが、ボーッとした子だったのは間違いありません。
就活なんかしませんでした。
会社員として働くことは無理なのです。朝に出勤なんてぜったいにできない。
僕は就職をしたことがありません。
午後から仕事が始まる編集のアルバイトをしながら、フリーライターを目指します。22歳のときでした。
作詞をしたのも、いつかは作家になるための準備だったし、フリーライターも何となく、作家への道が続いているような気がしていました。
編集者とライターは、似ているようで、まったく別の能力を要求されることを学びました。
とりあえずフリーライターになって半年後に、編集プロダクションを怒らせてしまって、『ABロード』とか『フロムA』とか『日本テレビ関係の仕事』とか、僕は一切の仕事を失います。
お金もなくなって、お昼に食パンを買い、夜まで食パンだけで食欲をしのぐ生活でした。
僕は全財産をはたいてバリ島に旅に出ました。
初めての海外旅行。当時は観光地化していなくて、夜は本当の真っ暗闇になる島でした。
沈み込んだときには、むしろ徹底的にさらに沈み込むと良いのです。
お金を得られなくなったときには、お金をはたいて、運勢の流れを変えるのです。
日本に帰った僕に、同じく編集プロダクションから仕事を打ち切られたK君が言います。
「朝日新聞社で記者を探しているけれど、試験を受けてみないか」
こうして僕は朝日新聞社の週刊朝日という雑誌の記者になります。25歳のときでした。