東京人は東京を知らない
上京したばかりの人がなげきます。
「東京人は、道を尋ねても知らないと返事をして歩いて行ってしまう。冷たいのが都会人だ」
僕は、こう答えます。
「あなたが道を尋ねたのは、たぶんあなたと同様に、地方から東京に来た人です」
あるいは、こう答えます。
「東京に生まれ育った東京人は、自分の街を出ないから、他の街の道なんて知らないんです」
僕は浅草に生まれました。
そして三ノ輪という下町で育ちました。
渋谷に初めて行ったのは、大学受験のためで、その渋谷にある國學院大学に通う羽目になって、しげく渋谷をうろつくようになりました。
新宿も同様で、大学生になってから遊びに行くようになりましたが、お酒が飲めないうえに風俗に興味がない僕には、新宿はつまらない街でした。
大学を卒業してからは、渋谷にも新宿にも六本木にも、よほどの用事がない限り行きません。
東京は、町ごとがミニ独立国みたいなところで、自分の住んでいる町で、たいていの用事は済んでしまいます。買い物、外食、会合、祭り、初詣、そして住まうこと、暮らすこと。
小学校も中学校も自分の町にあって、徒歩で通えます。
僕にとって衝撃だったのは、地方に行ったときに、長距離を自転車通学している中学生を見たことでした。
広大な土地に、薄茶色に生えているものが稲で、米はそこから採れるということでした。
でも全国各地では、それが当たり前だと知ったときには、さらに衝撃を受けました。
はっきり言います。日本一の田舎者が東京人なんです。
知らないんですよ、他の街のことを、他の地方のことを。
たとえば職人や商人の家に生まれて、そのまま跡継ぎになった僕の同級生は、中野、荻窪、吉祥寺がどこにあるのかを知りませんし、世田谷区や杉並区が高級住宅地だとは、噂でしか聞いたことがありません。東京のあっち側を、知らないのです。
都内の会社に就職した友人は、かろうじて勤務先の街と、渋谷、新宿、六本木、池袋、銀座、日本橋に「行ったことがある」という程度です。
この文章を読んで、驚いている人がいるかもしれませんが、うなずいている東京人もいるでしょう。
「浦山君はさ、東京出身なんでしょう。どこの街?」
と、大学の同級生の地方出身の女子から尋ねられて、
「浅草」
と答えたときに、
「なーんだ。浅草かぁ。新宿とか銀座とかの都会だと思っちゃった。損したぁ」
と返答されたときには、がっかりしました。
東京=大都会 東京=繁華街 東京=お金持ち というイメージがあるらしいですね。
いまでこそ、浅草は観光地として復活しましたが、僕が大学生の頃はさびれていて、午後9時を過ぎると店舗は閉まって、夜道には犬が一匹、さびしげに歩いているような街でした。
その頃の渋谷も同様で、午後9時にはセンター街のシャッターはすべて閉じられていました。
現在の昼の浅草や、夜の渋谷を眺めると、隔世の感ありです。
僕が修学旅行以来、関西を訪れたのは25歳のときでした。
兵庫県の三田市にナビゲーションシステムの取材に行ったのです。
それからは全国各地、世界各地に出向きました。ほとんどが取材のためです。
日本で行ったことがない都道府県はありません。
生まれ育った風土からしか文化は生まれない
日本一の田舎者である東京人は、自分の町の文化しか知りません。
自分の町の文化。僕にとってのそれは「寄席」だったでしょう。
「落語は、笑点や、NHKの早朝の番組で観ているから、知っているよ。ユーチューブでも観られるしね」
と決めつけられると、僕はがぜんとして、
「それは違う。落語は、客席と高座に上がっている噺家とが共鳴して作り上げるライブだ」
とムキになります。
寄席まで、引きずり込んでやりたくなります。
でも江戸落語って、しょせんは東京の郷土芸能なんですよね。
僕の文体は、あきらかに落語の影響を受けています。
それは作家の持つ、風土ってやつです。
僕にとっての風土が落語だというお話しです。
青森に津軽三味線があるように、京都に祇園祭があるように、島根に石見神楽があるように、徳島に阿波踊りがあるように、福岡に博多どんたくがあるように、沖縄にエイサーがあるように。
自分が生まれ育った土地の風土をベースに、文化を大切にして根っこを生やさなくてはなりません。
小説でも、イラストでも、絵画でも、音楽でも、ダンスでも、自分の風土を大切にしている人は成功しています。
僕は東京のこっち側に生まれた者として、東京のこっち側の風土を常に胸に抱いて、作品を書き続けていきたいと思っています。
たとえ転勤族の家庭で、故郷がないと思っていても、その土地の空気を吸い込んだときに懐かしいと思えたら、そこがあなたの故郷なんですよ
浦山明俊