僕は、物心ついた頃から変な子でした。
ハイハイもつかまり立ちも遅く、言葉を発するのだけは早い赤ん坊だったそうです。

3歳の頃、母親に抱かれながら、電車に乗ると停車する駅名を次々と読みあげていたそうです。

たしかに幼稚園に入る頃には、本を独りで読んでいた記憶があります。

真ん中が僕。幼少期から常にオーダーメイド服

 

小学5年生と6年生のときには、担任教諭から指示されて、教壇に立っていました。同級生に『国語』や『社会』を教えていたんです。担任のW先生は、その空いた時間を使って教頭試験の勉強をしていたのでした。W先生は、
「浦山君は、将来は作家になるだろう。みんな作家先生から教わるつもりで勉強しなさい」

と小学校の同級生に演説したのです。
いまだったら、社会問題でしょう。でも昭和30年代って、そんな時代でした。

ところが困ったことに、僕は『算数』『図工』『体育』がまったくできない子でした。
そもそも「なぜ走らなければならないのか」と疑問を持っていました。

中学校や高校での『数学』は得意というか、好きで「因数分解」「方程式」「ベクトル」は解けるのに、四則計算でつまずいてしまうのです。足し算や引き算を間違えるのです。

 

たぶん小学6年生。オーダースーツ姿。

 

おかげで劣等生でした。
高校はどこを受験しても不合格になりそうでした。
中学3年生の担任だった、U先生は、

「全寮制の高校が都立にある。そこだったら図書館が充実しているから。私が推薦してあげるから、将来は作家になりなさい。キミ、国語だけはできるんだから」

と僕をそそのかしたのです。

こうして僕は、東京都立全寮制秋川高等学校に、入学し、入寮することになりました。