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Urayama Akitoshi

【文章ノウハウVol.1】読んだ直後から文章が上達する プロの小説家が伝授する作文術「単文」

わかりやすい文章の基本は、単文

よく「行間のある文章」を書きなさいと言われると思います。

小説などで「行間」を生み出すためには、単文で書くとよいのです。

では単文で書くと、どういう効果が現れるのでしょうか。

そもそも単文とは、どんな文章でしょうか。

みんながうっかりウソのある文章を書いている

 

<例文1>

彼は太くてたくましい手を私の肩に置いて「きれいになったね」と言った。

この例文は文法的にも正しいし、ウソなんかないように思われます。

しかし<例文1>だと、この文章の主人公である女性は、はじめから彼の手が太くてたくましいと知っていたことになります。文章のなかで時間は1秒も動いていません。

<例文2>

「きれいになったね」彼は私の肩に手を置いて言った。太くてたくましい手だった。

<例文2>のように書き直しました。この文章のなかでは、時間軸と空間軸が生じています。

「きれいになったね」とまず声をかけられて、彼女はハッとします。
肩に手を置かれるのはそれと同時か、声をかけられた一瞬の後のはずです。
彼女は視線を動かして、肩におかれた手を見ます。
そこではじめて、太くて、たくましい手だと気がつくはずです。

空間と時間が表現される文章

<例文2>は、時間軸と空間軸が描かれた文章だということになります。

時間軸とは(声をかけられてから、肩に手を置かれるまで)のことです。
空間軸とは(彼女の視線が自分の肩に移動して、太くてたくましい手だと気がつくまでの視線の距離)のことです。

(カギ括弧)の部分は書かれていなくても、読者は自然と、文章の外側にある時間や空間を想像します。これが行間のある文章の書き方です。行間のある文章では、文字としては描かれていない仕草や心理や時間の流れなどを描き出すことができるのです。

では行間のある文章を書くためには、どうしたら良いでしょぅ。

主語と述語をなるべく近づけ、修飾部は、文章の外に独立させる。
それだけで良いのです。

短い文章こそ、読みやすい文章だ

 

<例文3>
フェリーに乗る山内君から泣き声交じりの電話がかかってきたのは真夜中の三時を過ぎていた頃だった。

まず主語と述語を探します。主語はどの言葉だと思いますか。

山内君……×

フェリー……×

主語は「電話」で述語は「かかってきた」です。
同じように「フェリーに」が主語「乗る」が述語「電話が」が主語で「かかってきた」が述語です。
<例文3>を分解して主語と述語をなるべく近づけます。

<例文4>
電話がかかってきた。山内君からだった。泣き声交じりだった。フェリーの上からかけているという。真夜中の三時を過ぎていた頃だった。

<例文4>まで分解したら、文章を整えます。

<例文5>
電話がかかってきた。山内君からだった。泣き声交じりだ。フェリーの上からかけているという。時計を見ると真夜中の三時を過ぎていた。

どうですか。
あなたが筆者だったら<例文3>より<例文5>の方が、続きの文章を書きやすくないですか。

作文が上手い人が陥りやすい文法文章

このように主語と述語だけで成り立つ文章を「単文」と呼びます。

日本語の文章には、この単文と重文と複文の3つのパターンしかありません。

そして多くの「作文が得意」な人は、つい重文や複文を書いてしまうのです。

読みやすく、行間が生じやすい執筆方法は、「主語+述語」の単文で文章をつづる方法なのです。

私も小説を書くときには、基本は「主語+述語」の作文を心がけています。

ぜったいに必要なところ以外では、重文や複文の文章は書きません。

まとめ

文章を書くときには、単文で書く。

単文とは「主語+述語」だけで成り立つ文章である。

単文で描かれた文章には、行間が生じやすい。

行間とは、書かれていない時間軸や空間軸の発現である。

 

浦山明俊

日大アメフト部・悪質タックル

【日大アメフト部悪質タックル】

2018年5月6日。日本大学と関西学院大学とのアメリカンフットボールの試合で、悪質なタックルが問題になりました。

対応は、後手後手に回り、まずは悪質タックルをした学生が記者会見で謝罪し、そのあとから監督やコーチが記者会見にのぞみ、両者は釈明に追われました。

問題が提起されてからは、とくにテレビのワイドショーで追求が始まっていました。

関学大が日大の悪質タックルに気づいたのは試合の翌日でした。しかもSNSを通じて外部からの指摘を受けてだったのです。

動画を撮られていたのです。試合を観戦した個人によってユーチューブにアップされ、それをツイッターで視聴するようにと誘導発言されていたのです。

関学大は、改めてビデオで試合を確認して、悪質タックルがあったことに気がつきます。

動画は、朝日新聞のツイッターアカウントや、スポーツジャーナリストのM氏などが取り上げ、問題提起が始まりました。

不祥事はSNSからマスコミによる報道へと類焼し、炎上は拡大していきました。

日大アメフト部として、あるいは日本大学という学校組織として、炎上する前に、動画がアップされた段階で、マスコミ対策をスタートさせておかなくてはならなかったのです。

学生が謝罪してから、監督やコーチが釈明。
これは順序が逆の対応です。

「たかがSNSだ。火は消えるだろう」「いちスポーツ部の問題だ。大学組織は関係ない」「学生個人に謝らせれば済む」

こうした考えが、日本大学というブランドに傷を負わせてしまいました。

組織の個人が、組織全体が、どう行動し、どう発言しなければならないのか。

それを考えさせられるクライシスでした。