プロフィール

浦山明俊-うらやまあきとし-

作家/陰陽師/医療ジャーナリスト/マスコミ対策コンサルタント
有限会社Instock 代表取締役
1958年生まれ
東京・浅草出身

常に飽き足らない探求心を持ち、全身全霊で物事にぶつかっていく……。 一度興味を持った対象は趣味の域を超えて職業にしてしまう程だ。 ゆえに小説家、医療ジャーナリスト、陰陽師、ライターなどの様々な顔を持つ。

  • 1958年東京・浅草生まれ。
  • 1981年國學院大学卒業
  • 1985年から朝日新聞社で週刊朝日記者として活躍。
  • 1988年朝日新聞社に勤務しながら個人事務所イン-ストックを創設。
  • 2000年イン-ストックを法人として登記。

浦山の朝日新聞社・週刊朝日記者時代の体験記、弟子の話、過去作品などのコンテンツを配信しています。ぜひお読みください。お楽しみください。

はじめに

僕の仕事は、すべて「言の葉」を駆使します。
「言の葉」は「言葉」の語源で、古くは「事の端」と同じ意味でした。
いまでも「山の端」とか「年端(もゆかない)」とか言いますよね。
端は「極み」とか「境目」とか「先端」を意味します。

万葉仮名(奈良時代くらいまで使われていた文字)では「言」「事」の漢字は共通しているのに対して、「異」「琴」には別の漢字が使われています。

つまりですね、「言」と「事」とは分けることができないくらいに結びついていて、言葉を発すると、そのまま事が起こると信じていたのです。古今和歌集の序文には、こう書かれています。

『やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける 世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり 花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生きるもの、いづれか歌をよまざりける 力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり』by紀貫之

読んで意味が分からなくても良いんです。
要するに、言葉には「事」を動かす力がある、と紀貫之は書いているんです。

僕の仕事をいくつか挙げます。

まずは陰陽師から説明しましょう。
とくに除霊とか修祓の際には、ノリト、カジリ、ハリカジ、ハラヘコトバ、マントラなどを声を限りに唱えます。鬼や霊や神が動き、言葉によって事態が好転するのです。悪霊を祓うには「言の葉」の力を駆使しなければならないのです。

つぎに医療ジャーナリストの仕事を説明します。

難解な医学用語を理解して、患者さんやその家族に分かりやすく説明するには言葉をかみ砕いて、なおかつ誤解が生じないように、心を配って文章を書かなければなりません。
代わりに、お医者さんたちや、医学部の教授たちや、製薬会社の開発担当者とは専門的な言葉を使って、最先端の情報を取材しなければなりません。医学を報道することで、あるいは論じることで、患者さんたちには、自分に適した安全で信頼できる医療を受けてもらう。言葉によって事態が好転するのは、医学の世界でも同じなのです。

そして作家・小説家としての仕事を説明します。

何しろ、言葉によって小説も、ノンフィクションも書くわけですから、これが一番イメージしてもらいやすい気がします。しかし僕には夢があります。

面白さを超えることです。

「読んだら、面白かった。良い娯楽だった」とか
「スッキリした」「泣いちゃった」という作品に留まりたくはありません。

その先にある人間性を、言の葉の力で動かしたいのです。

「生きていこう、そのためにはどう生きよう」とか、

「悩むことは恥ずかしいことでも何でもない。悩むことは世の中を変える原動力になる」とか、

「この寂しさを娯楽で紛らわしてはいけない。もっと寂しい人に寄り添う自分でありたい」とか。

言葉の原点である「言の葉」の力を信じてもらえる文学を書き続けたいという夢です。
そうです。僕の仕事は「言の葉」を抜きにしては成立しないものばかりなのです。

『奮い立て日本文学、立って寂しき心を揺すれ』」

 

これまでの歩み

僕の幼少期から現在に至るまでを簡略的に描いてみました。
結構ボリュームが多くなってしまったので、記事を分けて記載します。
ストーリー仕立てになってますので、①〜⑤を続けてお読みください。

 

浦山明俊 人生録① -幼少期〜高校時代-

 

浦山明俊人生録② -大学時代~社会人初期まで-

 

浦山明俊人生録③ -朝日新聞時代 –

浦山明俊人生録④ -弟子と会社 波乱の前兆-

浦山明俊人生録⑤ – どん底から現在 –

今後の展望

 僕は、夏目漱石にあこがれて作家を志しました。
小学6年生で読んだ『坊ちゃん』は、世界がひっくり返るほどの衝撃でした。
しばらくは夏目漱石の話をします。
「何だ、文学かぶれのインテリ論か」と、結論づけないでください。

今後の展望を語るうえで、夏目漱石という人物をモデルに「私たちは、いま何をするべきなのか」
「私たちはいま、どんな時代を生きているのか」を知る手がかりになると思うからです。

漱石が文学の偉人と評価されているのは、明治という時代に、最先端メディアの開拓者となったからです。まだ日本では馴染みの薄かったノベル(小説)に、エンターテインメントだけではなく、生きるヒントを組み込んだからです。

明治という凛烈(りんれつ/寒々しく孤立する)たる日本に、彗星のように現れたのが夏目漱石でした。

『坊っちゃん』では、それまでの日本の善悪観であった「勧善懲悪」つまり、桃太郎が悪い鬼を退治しましたみたいな、絶対善と絶対悪なんて、これからは通用しないぞという内容を書いています。

『三四郎』では、東京にやって来る若者の恋愛を描きながら、魅惑の女がつぶやく「Stray Sheep」(迷子)というキーワードを印象づけます。自由恋愛などありえなかった明治以前からみたら、恋慕をテーマに取り上げること自体がスキャンダラスで時代の最先端でした。

『こころ』では、恋愛への欲望を達成したときから始まった、K先生(登場人物)の生きる事そのものへの苦悩と死が描かれます。勝者は、純朴な敗者によって、心を支配され続けるのです。

『それから』では、個人の意思と社会の規約のせめぎ合いが描かれます。主人公・代助は、裕福な実家から金をもらって悠々と暮らす高等遊民でした。友人の常次郎に配慮して結婚を譲ったのに、その恋しい人妻・三千代人が常次郎によって危機に立たされているのを知り、三千代と共に生きる決意をします。人妻を奪うという反社会的行為に、代助は実家からの経済支援を断ち切られます。明治の家制度に従えば、世間から非難されることもなく生きていける。愛する人を守るという個人の意思を貫こうとすれば、社会からは孤立する。それが明治の日本でした。さて2人は、それから……。その先は描かれていません。

漱石が生きた明治時代の日本は、江戸幕府が倒れたばかり。世界からみれば弱小国でした。

日本は江戸時代の寺子屋の普及で、文盲率が低い高等教育の国家だったと論じる人がいますが、お国なまり(方言)が全国各地に根強く残っていて、共通語を持っていない国家でした。
九州の福岡県出身の人と、東北の宮城県出身の人が東京にやって来て、会話をしても、互いに何を言っているのか分からないという事態が本当に起きていたのです。

それまでの文書は漢文でした。武士や豪商だけが読める書き言葉です。

庶民が読んでいた黄表紙、滑稽本などは、カナ交じりであっても、江戸弁で書かれていた書籍で、全国に普及するものではありませんでした。
ここに言文一致運動が起こります。日本語を作り直そうじゃないか。
話し言葉と書き言葉を、一致させようじゃないかという提案です。

標準語を推進したのは上田万年でした。

東京の山の手あたりで使われている言葉を基軸に「お父さん、お母さん」とか「おはようございます」「ごめんなさい」など、現代では当たり前になっている日本語を標準語として使うように仕掛けたのです。

夏目漱石は、新しい日本語になじもうとする人たちに、小説を通じて、これからの日本語はこういう書き方をするのだ、読まれ方をするのだ。という新機軸を大衆に示したのです。

時代の最先端のことがらを描いたのです。

それは一級のエンターテインメントでありながら、悩む力の提示でもありました。

「読者よ、あなたなら、どう考えて、どう行動するか」

そんな課題に、日本人は直面したことはありませんでした。
家制度、幕藩体制、士農工商、生まれた土地のしきたりに従っていれば、一生を送れたのです。
江戸時代以前から続いてきた身分制度のなかで、軋轢を起こさないようにおとなしく暮らしていたのです。

ところが、明治維新によって世界と接して生きていかなくてはならなくなった近代の日本人は、

「どの道を選び、どう生きるか」

を考えなくてはならなくなりました。

選択の自由は、同時に個人の人生観、社会観、家庭観を猛烈にシャッフルする自由でもあります。
この問題は、平成が終わろうとしている現代にまで尾を引いています。
生きることが不自由だと、感じている人たちは大勢います。

ウェブメディアの到来からアッという間に普及を迎えた現代です。
情報の氾濫は、ますます拡大する現代です。

世界の隅々とネットでつながりながら、リアリティを感じることなく生きてしまう現代です。
働き方の選択は、富裕層と貧困層の溝を埋めるまでには、機能しているとは思えません。

「生活のレベルは、自己責任だ」と断言できるほど、日本の社会は成熟していないと思うのです。

僕は『言の葉』を駆使して仕事をしています。
単純に言えば「言葉遣い」です。

言葉が貧しくなっていく社会や国家は、必ず疲弊し、衰弱します。
いまから20年くらい前の、つまり2000年前後のアメリカ合衆国に取材に赴きました。

ビル・クリントンから、ジョージ・ブッシュへと大統領が替わる時代です。

「低用量ピルが日本で解禁される」
「アメリカ合衆国での使われ方は、どんな現状か」
「製薬企業は、いま何を試行しているか」
「医療に影響力を持つ国会議員は、どの方向に舵を切ろうとしているのか」

研究医、FDA職員、下院議員たちと話を交わしました。
ところが、若い庶民との会話は成立しませんでした。

何を質問しても「Cool」「Great」「heavy」という返答で彼らはすませてしまうのでした。

いわゆる感覚語です。
語彙力の格差は、そのまま貧富の格差に反映されていると感じました。

20009月、ITバブルが崩壊してアメリカ経済の下落は、世界同時経済減速を引き起こします。世界経済の王者だったアメリカの転落は、さらに悪化します。

2001年9月11日にアメリカで発生した同時多発テロは経済の不確実性を高め、景気後退を決定づけました。そうです、ワールドトレードセンタービルに旅客機が突っ込んだあのテロです。

多くのアメリカ人が感情的に暴走し、イスラム人を排斥しようとしました。
イスラムへの理解はなく、憎悪だけがアメリカを覆いました。
何て感情的で、何も考えない人たちだらけなんだろう。

日本に戻った僕は、東京の街なかで若者たちが「やべぇー」「すげぇー」「かわいい」を連発発言しているのを聞いて、

「これは日本も、アメリカみたいに言葉が、感覚語だらけになり、社会も経済も文化も衰退するかもしれないな」

と思ったものです。そしてその通りになりました。

20年経って、街なかで「やべぇー」「すげぇー」「かわいい」の言葉を連発していた若者たちは、いまは40代になっているわけです。

日本の社会の零落と疲弊は、言葉の枯渇から始まったような気がしてなりません。

Cool」「Great」「heavy
「やべぇー」「すげぇー」「かわいい」

感情と感覚だけで、社会を、経済を、文化を、国家を、あるべき方向へ導くことはできません。
理性と知性は、学力偏差値とは関係なく、言葉の力によってひとり一人が磨くことができるものです。

夏目漱石が当時の最先端メディアであった印刷媒体の小説を通じて、それからの日本を考えるきっかけを、多くの日本人に提供したように、僕たちは、現代の最先端メディアを通じて、これからの日本を、どう作っていくかを感情論ではなく、理性で示していく必要を感じるのです。

『悲観をすると未来はなくなる。でも楽観していても未来は開けない。疑うこと、確かめること、悩むこと、考えること、ときに否定し、ときに肯定すること。その過程が未来を開く鍵になる』

ファッション

ファションへのこだわり

コーヒー

コーヒーのこだわり

料理

料理へのこだわり

健康

健康のこだわり

弟子

弟子のこだわり

万年筆

万年筆のこだわり

東京のこっち側

上京したばかりの人が言います。

「東京人は、道を尋ねても知らんぷりして歩いて行ってしまう。冷たいのが都会人だ」

僕は、こう答えます。

「あなたが道を尋ねたのは、たぶんあなたと同様に、地方から東京に来た人です」

あるいは、こう答えます。

「東京に生まれ育った東京人は、自分の街を出ないから、他の街の道なんて知らないんです」

僕は浅草に生まれました。そして三ノ輪という下町で育ちました。

渋谷に初めて行ったのは、大学受験のためで、その渋谷にある國學院大学に通う羽目になって、しげく渋谷をうろつくようになりました。新宿も同様で、大学生になってから遊びに行くようになりましたが、お酒が飲めないうえに風俗に興味がない僕には、新宿はつまらない街でした。

大学を卒業してからは、渋谷にも新宿にも六本木にも、よほどの用事がない限り行きません。
東京は、町ごとが独立国みたいなところで、自分の住んでいる町で、たいていの用事は済んでしまいます。買い物、外食、会合、祭り、初詣、そして住まうこと、暮らすこと。

小学校も中学校も自分の町にあって、徒歩で通えます。
僕にとって衝撃だったのは、地方に行ったときに、長距離を自転車通学している中学生を見たことでした。広大な土地に、薄茶色に生えているものが稲で、米はそこから採れるということでした。

でも全国各地では、それが当たり前だと知ったときには、さらに衝撃を受けました。
はっきり言います。日本一の田舎者が東京人なんです。

知らないんですよ、他の街のことを、他の地方のことを。

たとえば、職人や商人の家に生まれて、そのまま跡継ぎになった僕の同級生は、中野、荻窪、吉祥寺がどこにあるのかを知りませんし、世田谷区や杉並区が高級住宅地だとは、噂でしか聞いたことがありません。東京のあっち側を、知らないのです。

都内の会社に就職した友人は、かろうじて勤務先の街と、渋谷、新宿、六本木、池袋、銀座、日本橋に「行ったことがある」という程度です。

この文章を読んで、驚いている人がいるかもしれませんが、うなずいている東京人もいるでしょう。

「浦山君はさ、東京出身なんでしょう。どこの街?」
と、大学の同級生の地方出身の女子から尋ねられて、

「浅草」
と答えたときに、

「なーんだ。浅草かぁ。新宿とか銀座とかの都会だと思っちゃった。損したぁ」
と返答されたときには、がっかりしました。

東京=大都会 東京=繁華街 東京=お金持ち というイメージがあるらしいですね。

いまでこそ、浅草は観光地として復活しましたが、僕が大学生の頃はさびれていて、午後9時を過ぎると店舗は閉まって、夜道には犬が一匹、さびしげに歩いているような街でした。
その頃の渋谷も同様で、午後9時にはセンター街のシャッターはすべて閉じられていました。
現在の昼の浅草や、夜の渋谷を眺めると、隔世の感ありです。
日本一の田舎者である東京人は、自分の町の文化しか知りません。

僕にとってのそれは「寄席」だったでしょう。

「落語は、笑点や、NHKの早朝の番組で観ているから、知っているよ。ユーチューブでも観られるしね」
と決めつけられると、僕はがぜんとして、

「それは違う。落語は、客席と高座に上がっている噺家とが共鳴して作り上げるライブだ」
とムキになります。

寄席まで、引きずり込んでやりたくなります。
でも江戸落語って、しょせんは東京の郷土芸能なんですよね。
僕の文体は、あきらかに落語の影響を受けています。

それは作家の持つ、風土ってやつです。
僕にとっての風土が落語だというお話しです。

青森に津軽三味線があるように、京都に祇園祭があるように、島根に石見神楽があるように、徳島に阿波踊りがあるように、福岡に博多どんたくがあるように、沖縄にエイサーがあるように。

自分が生まれ育った土地の風土をベースに、文化を大切にして根っこを生やさなくてはなりません

小説でも、イラストでも、絵画でも、音楽でも、ダンスでも、自分の風土を大切にしている人は成功しています。僕は東京のこっち側に生まれた者として、東京のこっち側の風土を常に胸に抱いて、小説を書き続けていきたいと思っています。

『たとえ転勤族の家庭で、故郷がないと思っていても、その土地の空気を吸い込んだときに懐かしいと思えたら、そこがあなたの故郷なんですよ』

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